0902  午後八時、仕事帰り。

 毎日白くて煙たい部屋に一日中閉じ込められている私は、ビルを出た途端、まるで溺れていたところを救出された子供みたいになる。私は口をぱくぱくさせて、酸素の足りない肺に新鮮な空気を取り入れる。そうすると、次第に呼吸が整っていく。
 疲れた体を引きずって駅までの道を急ぐと、すっかり涼しくなった風が私の横を通り過ぎた。辺りからは、もう秋の匂いがした。



 0903  ずるい大人集結の夜

 やっと彼が帰ってきて、久しぶりにみんな揃って大笑いして、バカなことばかりやってたあの頃のことを思い出した。あの頃から少しずつみんなの環境は変わっていて、もうあの頃と同じって訳にはいかなくなったけれど、昨夜はまるで学生時代の同窓会みたいで楽しかった。
 愛すべきバカな奴等に囲まれて幸せだなあと、私は寝不足の目を擦って思う。



 0904  泳ぐ視線

 「どうしてずっと俯いているの。真剣に話してるんだから、ちゃんと私の目を見て」
 そんなこと言ったって、私は人と目を合わせることが苦手なのに。疚しいことがあると目を逸らすって人がいるけれど、私は何も疚しいことがなくても目を逸らしてしまう。
 恋人の目でさえなかなか直視出来なかった私にそんなこと言っても、ねえ。



 0905  私を泣かせることができる人

 確かに最初は自責の涙だった。自分に腹が立ったのと君に申し訳ないという気持ちで、私は自分自身の頬を濡らした。けれど、こんな私を君は許してくれたから、自責の涙は安堵の涙に変わった。一向に泣きやまない私に対して君はおろおろするばかりで、私はそんな君を愛しいと思った。いつの間にか、安堵の涙は幸福の涙に変わっていた。
 私の頬を伝った温かい液体は、流れっぱなしにも関わらず、その理由を次々と変えた。ただ言えることは、私に悲しみの涙を流させる人間はたくさんいても、喜びの涙を流させる人間はなかなかいないということ。そして君は、私に喜びの涙を流させることが出来る人間になったということ。



 0906  早く側に来て

 私達が近づくために、君は頑張ると言った。すごく嬉しかったけど、恥ずかしかった私は何てことない振りをした。素直を装ってるくせに、素直じゃなくてごめんなさい。
 今日も頑張って行ってらっしゃい。



 0907  クリーンナップ

「嫌いな人に嫌いと言うことも、好きな人に好きと言うことも出来ない」
 君が言ったこの言葉が、ここ数日間、頭から離れない。
 私は少し違った。嫌いな人に嫌いと言うことなんて出来ないくせに、あからさまに嫌いな態度を取ってわざと相手を遠ざけるし、逆に好きな人に好きと言うことなんて出来ないくせに、さりげなく好きな態度を取って相手の出方を見る。
 私はずるい。君は私なんかよりずっと潔い。純粋な君と関わっていけばいくほど自分の汚れた部分が浮き彫りになってしまって、私は泣きたくなる。
 どうか、汚れてしまった私を君で浄化させて。



 0908  暗闇に一人ぼっちの夜

 とにかく暗闇が嫌いなのです。眠る時にパソコンの電源を落とさないのもそのためです。暗闇に飲み込まれてしまいそうになるのが怖いのです。
 何でもいいのです。豆電球でも、蓄光時計でも、パソコンの明かりでも、何でも。暗い場所でも光があれば、その場所にそれがあることの証明になるから、怖いと感じることはないのです。嫌なのは、私がいるべき場所に確かに存在しているかどうかを確認出来るものが何もないこと。
 私は今、確かに自分の部屋にいるよね。間違いなくここは私の部屋だよね。
 昨夜はこんなことばかり言い聞かせて、不安になったらロウソクを点けて安心する、その繰り返しでした。明るくなってそれを思い出すと少し滑稽だけれど。



 0909  引き出しの中で寄り添う二人

 君がいつかこの部屋に来ることを想像して歯ブラシを買った。ブルーとピンクを一本ずつ。まだちっともそんな段階ではないのに、私はなんて気が早いんだろう。
 そんな自分を、私は、とても滑稽で、ものすごくみっともなくて、それでいて愛しいと思う。



 0910  触れられないほど大切なもの

 ぐらぐらし始めている。元々不安定だった私の心は更に均衡を失ってふらふらしている。
 まるでショウケースの中に保管しているように大切にしているそれに、私は手を触れないように努めているのだけれど、やっぱり本当はガラス越しに眺めるだけではなく、触れたくて、味わいたい。けれど、触れることは出来ないし、自分自身もまだ触れてはいけないと決めている。
 どこまで踏み込んでいいものか、自分でも迷っている。



 0911  スプーンポジション

 ベッドの中、拗ねた私はしばしば恋人に背を向けて、機嫌を損ねていることを無言で主張した。そのたびに彼は私を背後からそっと抱きしめて、耳元にふうっと息を吹き掛けてきた。恥ずかしがり屋な私の耳たぶはすぐに赤く変化する。素直な体は彼を受け入れる準備を始めてしまって、腹立たしさでいっぱいの私の心は威厳を失う。
 静かな夜、重なる二本の匙は擦れ合って音を響かせる。そうやって私達は顔を合わせることなく、私の背中と彼の胸を合わせることで仲直りしていた。

 だからかもしれない。私は背中に感じる体温にこの上ない愛情を感じる。私の腋の下を通って伸びる手は、私にとって愛の告白のようなものなのだ。



 0912  悪くない週末の過ごし方

 せっかくの休日なのに、時間を有効利用できていない。やりたいことはたくさんあるはずなのに、何もせずにただ時間だけが緩やかに過ぎていく。
 夕方になってこの週末を振り返る。久しぶりに夜更かしをした。久しぶりに昼過ぎまで寝た。久しぶりに君の声を聴いた。なかなか悪くない。だから、とりあえずはこれで良しとしておこう。



 0913  翌日仕事の午前二時

 目を瞑るとすぐに睡魔は襲ってきて、破りたくなった約束を守り通した自分を少し誇らしく思いながら明日を迎える準備をした。少しだけ火照った体はベッドの中の温度を上げて私を寝苦しくさせたから、エアーコンンディショナーの温度を二度だけ下げて自動的に切れるようにタイマーをセットした。私の隣には、間違いなく透明な君がいた。



 0914  エンドレスレース

 今すぐやらなければいけないことが山積みで、今のうちにやっておいた方がいいことも次から次へと出てきてしまって。変なところで完璧主義だから、自分が手を付けたものは中途半端にしたくないし、早めに楽になりたいから未処理の仕事を後回しにしたくない。だから私は毎月この時期決まって無理をする。
 ふらふらしながら、それでも私は走り続けている。ゴールまでもう少し、あともう少し。けれど、ゴールしても次のレースはもう既に始まってしまっているのだけれど。



 0915  雨を降らせて地を固めなさい

 彼女の曇った顔は、まるで今にも雨が降り出しそうな今日の空にそっくりで、お節介な私は思わず彼女の顔を覗き込んだ。彼女の曇り顔は一瞬で快晴に変わったけれど、本当は、心はちっとも晴れやかじゃないことを私は知っている。
 もう。無理なんてせずに泣いちゃえばいいのに。
 終わってしまった恋にさよならを告げるには、やっぱり感情を解き放った方がいいと私は思う。きっと、散々泣いてきれいさっぱり忘れて次の恋の教訓にした方が、悲しみに耐え続けて未だに想い続けるよりもずっと前に進める。私は傘を放り投げて、あなたと一緒にずぶ濡れになる覚悟をしているというのに。



 0916  風向き

 強い向かい風が吹いている。そして何とか前に進もうとしている私の邪魔をする。けれどこの世界には絶えず風が吹いていて、それを味方につけるのも敵に回すのも自分次第なのだ。
 風の流れを追い風に変えたければ、進むべき道が間違っていないか確かめなければいけない。立ち止まって、進むべき方向を改めて考えてみるのがいい。その間に風向きが変わるかもしれないし、実は進むべき方向が違うことに気付くかもしれない。



 0917  OL奮闘記

 私は褒められると驕ってしまう人間だと知っているから、課長は私を滅多に褒めない。仕事はこなして当たり前、給料もらってるんだから当然と、私の成果をなかなか認めようとはしない。
 そんな課長が、今は本当にあなたにかかってるんだから、どうにか助けてよ、と言ってきた。精神的にぼろぼろになった先輩たちが何人か潰れて、その穴を埋める役目であるはずの主任や係長まで病んでしまって、課長も真剣に辛いみたいだった。
 ここでキメたらきっと褒めてもらえると判断した私は俄然やる気を出した。すると、ここでキメたら最高にカッコイイと判断した私の唯一の後輩も便乗した。私たち下っ端二人は主任や先輩を差し置いて突っ走りだした。部下に、後輩にいいカッコされては困ると主任たちも巻き返しを図る。締め前のラストスパート。全ては課長の計算通り。人をうまく動かすことが出来る課長はさすがだと、私は舌を巻くしかなかった。

 ああ、私は自覚せざるを得ない。セックスの時にはサディストだと豪語している私も、実は仕事に於いては、まるでご主人様から褒めてもらうために一生懸命芸をする犬みたいだ。ワンワン。



 0918  全力投球

 私の持つ各々の能力は高くない。だからこそ人よりも努力して、人並みの、或いはそれ以上の力を発揮しているだけ。
 あなたは何をやっても割と何でも出来るよね。
 そんな言葉で片付けないでよ。私はなんとなくやってるんじゃなくて、実は精一杯やってるんだから。



 0919#1  一人よがり

 私は一体何をしているんだろう。
 まるで憑き物が落ちたように、私は冷静になった。自分の今までの言動を思い出してみると、なんだかそれはとても昔のことのような気がした。哀しめばいいのか、懐かしめばいいのか判らず、私は迷った挙句、結局選んだのは「戸惑う」ということだった。
 解かっていたはずだった。人は誰かの所有物には成り得ないのだということを。



 0919#2  二人よがり

 君は自分でも気付かないうちに私をチクチクと傷付けるけれど、そんな自分に気付いた時になんとか私を癒やそうとしてくれるから、私はそのたびに君を見直す。
 君はとても不器用で、とんでもなく鈍感で、どうしようもなく無神経だけれど、どうにか私を喜ばせようとしてくれるから、私はどんどん君と関わりたくなる。



 0920  経験値リセット

 私が今までに恋をしてきた回数が君よりも多いからといって、私の方が優位に立てるとは限らない。君に夢中になってしまえば、きっと私は君に頭が上がらない。もしも新しい恋が始まってしまえば、それまでの恋愛経験など何の役にも立たない。
 きっと何度恋をしても、再び恋に落ちてしまえば、私にとってそれはまるで初恋のように感じるだろう。



 0921  共に歩む道

 私は一人では何も出来ない。けれど、誰かと一緒なら何かが出来る可能性があるんだなあと実感した連休。もちろん多くの苦労もあったけど、終わって後ろを振り返ると、さっきまで自分が歩いていた道がもう懐かしく見えた。
 一人では歩けない道を、誰か一緒なら歩いていける。私はこうやってこれからもいろんな人に関わって、いろんなことを経験していくんだろう。



 0922  雨上がりの朝

 昨夜は雨が降った。
 暗闇に響く雨の音は、まるで私の幸先を暗示しているようで、私の心は沈まずにはいられなかった。どうして私はいつも貧乏くじばかり引いてしまうんだろう。昼間の出来事を思い出して、私は舌打ちをした。
 しばらく雨のBGMを聴いていた。すると段々、何もかもが面倒になってきた。私はもう考えることを放棄して、結局はやるしかないという結論に達した。

 そのまま眠ると朝が来た。雨も上がっていた。これが私の幸先の暗示であることを願う。



 0923  残された意志

 大嫌いなことをする時間を大好きな人と一緒に過ごすと、大嫌いだったはずのその時間がだんだん大好きになる。けれど、大好きな人がだんだん大好きじゃなくなってくると、大好きになったはずのその時間もだんだん大好きじゃなくなってくる。そして恋が終わる頃には、大好きな人も、その人と過ごした大好きだったはずの時間も、もうちっとも好きじゃなくなってる。

 そんな、恋のテンションと共に上がったり下がったりする好き嫌いボルテージの激しい私が、今でも音楽から離れられなかったり、書くことをやめられなかったりしているのは、やはり彼らは恋愛関係以上の物を私に与えたからだということなのだろう。
 たとえそれはメッキの剥がれ落ちたピアスであったとしても、残された石は私にとって最上級のダイアモンドなんだということ。そして私は今でもそのダイアモンドを磨き続けているということ。あの頃も今も、全く変わらない事実。



 0924  どこまでも行こう

 私はただ、あなたと手を繋いでどこまでも歩いていた。目の前には果てしなく続く地平線が広がっていて、私は、あなたと一緒なら、どこまででも歩いて行けると思った。
 繋いだ手からは、あなたの手の温もりが流れ込んできた。だから私は、自分の温もりもあなたに伝わればいいなと思った。



 0925#1  None of your business!

 なんだか最近不幸続きだね。
 彼女はそう言って私のことを笑った。別の人間は憐れんだ表情で私を見た。私はそんなこと、他人に決めてほしくない。幸も不幸も私自身の心が決めることなんだから。



 0925#2  戒め

 スタートダッシュを成功させたければ、そのための努力をしなければならない。
 ラストスパートをかけたいのであれば、それなりの忍耐をしなければならない。
 出だしからこんな言葉を掲げて、上司は私を叱咤激励する。今月度はもうスタートしてるんだからね。と、笑顔だけれど目が笑ってない。解かってますってば。



 0926  寄り道しながら思う

 たとえ道草をしたって、最終的には目的地に辿り着けばいい。のんびりと行こう。それが私の信条だったはずなのだけれど。
 私はどうも道草しすぎて無駄な時間を消費しすぎているような気がして仕方がない。立ち止まったり振り返ってばかりで、なかなか前に進めなかったりする。
 確かに慌てる必要はない。焦る必要もない。けれど、時間は限られているのだということを忘れてはいけない。



 0927  真夜中の憂鬱

 熱い体が鎮まらなくて、私は窓を開けた。静寂は破られ、銀色の針のようなカーテンが夜空を遮る。空気は私の体を少しだけ冷やしたけれど、それも表面だけ。
 雨の音が静まらなくて、私は窓を閉めた。騒音は治まり、漆黒の箱のような空間が私を飲み込む。きっと明日は傘がいる。



 0928  平熱は35.5度で

 体温計の電子音が静かな部屋に響いて、私は閉じていた目を開けた。体が熱い。うっすらと額にかいている汗もすぐに蒸発してしまいそうだ。雨にさえ濡れなければ、なんて今更悔いても仕方がないのに。
 薬には頼りたくない。けれどどうしてもこの熱を下げなければいけない。私は解熱剤を口に放り込み、一口の水で胃に流し込んだ。この熱が下がる時、もう一つの熱も冷めてしまうんじゃないかと心配しながら、私はもう一度目を閉じた。



 0929  雨粒はしみこんでいく

 連日の雨。
 勢いを増していく雨の粒は胸の中にまで降り注いで、乾ききっていた私の心を潤してくれる。けれど、このまま濡れ続けて湿ってしまわないように、ある程度潤ったところで傘を差そう。カラカラは嫌だけど、ジメジメにもなりたくない。



 0930  週末までは

 人恋しくて誰かと繋がりたくなる。心も体をもっと近づけて、自分は独りじゃないんだということを確認したくなる。
 それでも辺りを見回してみると私は独りぼっちで、部屋の中は静まり返っている。君の声が聞きたくても、私は君と繋がることができない。今日はまだ木曜日。